mame3zok雑記

i'm just a drummer. i'm just a rider. i love dogs. i love the greatest japanese rock band SPITZ!

『それは夕立のように』

 それはいつもいきなりやってくる。彼が如何にそのチャンスを欲していても、彼が意識しているうちは現れない。こづかいを使い果たした小学生のように、いくら目を皿にして歩きまわっても十円も拾えないのと同じだ。

 出勤途中の彼はいつものように渋滞の中にいた。春の穏やかな朝日に照らされ、彼はぼんやりしていた。開け放たれた窓からは、杉の花粉を含んだ微風が流れ込む。目鼻は緩むし、寝過ごして朝食抜き。眠っても、眠っても、まだ眠い。見飽きた風景の中、運転席の中で時間だけがただ無為に流れ、車は遅々として進まなかった。繰り返される日常の些事に埋没していて、人生そのものが渋滞していた彼は、今日の退屈な業務手順をぼんやりなぞりながら、毎朝の混雑を厭う感性すら失いかけていた。

 ずいぶん先のT字路の信号が替わり、車の列がまた少しだけ進んだ。大あくびをしながらふと見ると、がら空きの反対車線を渡って、今風の女子高生がこっちに駆け寄って来るのが彼の目に入った。彼女は中央分離帯のフェンスに掴まって、涼しげな目でこちら側の車線を渡るタイミングを測っていた。その脇をちょっと通り過ぎて彼の車は止まった。と、ドアミラーの中で彼女は、グレーのパイプフェンスをひらりと跨ぎ、車の波間を野性の仔鹿のように駆け抜け、そのまま視野から消え去った。ほんの一瞬の事であった。

 何の心配もせず彼女は足を上げ、紺色の制服のスカートの奥の白い物を彼の網膜に焼き付け、消えて行った。彼は振り向いて見たが、その姿はもう無く、後ろからのクラクションにどやされ、しぶしぶ車をまた少しだけ前に進めた。

 こんな朝はなぜかたまたま、助手席には彼の女房が居るのだった。夫婦で寝坊すれば、出社時間が遅い彼女も一緒に家を出る事になっているのだ。

「やっぱり見ると思ったぁ。」

 普段は愚鈍でも、こういう事には、亭主の視線とか鼻の下の微妙な伸び具合にも目敏い彼の女房である。それまでラジオに合わせ鼻歌鼻歌交じりだったのが、晴天俄に掻き曇り、取れかかったパーマの髪を雷神の如く逆立て、大粒の非難の雨で彼を打ち始めた。あなたを始め世の男が如何に猥雑で、節操がないか、あなたみたいなのばかりだから日本のモラルが低下し、世界一の幼女ポルノ大国と馬鹿にされるのだ、去年行った出張は本当に大丈夫だったのか、毎晩遅くまで仕事だっとパソコンやってるけど、ほんとはインターネットで変な絵を見てるの知ってるんだから等々、古今東西世界の女性の不遇の原因の責任を取れと云わんばかりの、ありとあらゆる責め句を彼に降らせるのだった。

 彼は、去年の梅雨時の朝、渋滞で並んだ道の反対側のバス停で、傘を肩に担いだ女子高生がソックスを直す後ろ姿を見たのを思い出していた。彼女の肩掛け鞄がスカートの裾をいきなり挟んで持ち上げてくれたのだ。その時もなぜかたまたま、朝寝過ごしていて、助手席には女房が居たのだった。今また、彼の女房もそれを思い出し、責め句は雷雨になっていた。

 彼はいつものように、粗相して叱られた犬のような「済まなかったモード」の表情を作りつつ、網膜に焼き付いた小さな白い幻影を、何度も何度もプレイバックするのだった。罵詈雑言でずぶ濡れになりながら。そんなのも、ちょっとわるくない。

(by ikuya23, on June 01, 1999 第3回雑文祭には出してません)